哀しみは山手線だったかも

 新宿は嫌い 渋谷も池袋も嫌い 小学生の時に初めて行ったその日からいつもずっとそう思ってた 高校生になって好きになったバンドのボーカルが舞台の上で「渋谷が嫌い 東京が嫌い」って叫んでた あんまり好きになれなかった映画の主人公の女の子も「東京が嫌い 渋谷が嫌い」って言ってた 私は「嫌い」を言えなくなった 共感が怖い 誰かと嫌いなものを共有するのが怖い 分からないけど 理由とかは分からないけど 嫌いなのは私だけで良くて みんなが嫌いになったら可哀想 みんなが嫌うなら私くらいは好きで居てあげなきゃ行けない気がする 嫌いだったはずの新宿に私は毎日居る 毎月毎週毎日毎日 もう何年も居る 居場所だとは思わない 私が居なくなってもすぐに違う誰かがそこに居るんだろうな あの子の隣もあの人の隣も全部全部そう 

 

今日は帰りの道でカップルがキスをしてた バレンタインのチョコが入った紙袋を持った男の子が居た 電車の中では手を繋いでた 女の子が「愛されたい」って肩を落としていて 横にいた子が「愛されたいって何?車でみなとみらいとか連れて行ってもらうこと?」って聞いてた 私は昨日恋人に「私はディズニーランドも動物園もいちご狩りも行きたくないよ」って言った  もしかしてちゃんと伝わってなかったかもしれないって女の子たちの会話を聞いて思った 

 

外国では洋服を縫う仕事をする女の人たちが工場の瓦礫に埋もれて何百人も死んでるって聞いて 洋服を買えなくなった 貧しい国に洋服を寄付しようって 寄付された服が溢れてゴミみたいになってるって聞いて 生きているのが嫌だと思った どうにもならない気持ちがたくさんある 分かって欲しいわけでも誰かに教えたいわけでもないけど 積もって積もって何処にも消化できずに埋れてく 自分の心の中とかお腹の中とか きっとしっぽみたいに後ろにもついてきて だけどきっとまた忘れて洋服を買うし 今も明日も明後日も私は息をして どうせ生きるなら楽しい方がいいとか そういうのぜんぶ宗教だと思う 別に宗教が悪いものじゃない でも人に押し付けたらそれはもう信仰じゃないと思う 共有するのが怖い みんなもっと怖くなってくれたらいいのに 自分と同じ思考の人がいることにもっと恐怖心を抱いてくれたらいいのに 分かり合えないことが当たり前って世界になればいいのに