哀しみは地下鉄なんかじゃなくて

まだ2月 みんなはもう2月って言う

お財布の中には2110円 昨日は駅の薬局で300円のマニキュアをクレジットカードで買った コートのポケットには腕時計 20歳の誕生日にそのとき付き合っていた人からもらった もらって2日で別れた 腕時計は毎日つけてる 今朝も玄関で忘れたことを思い出して 洗面所に置きっぱなしの腕時計を取りに戻った そのままポケットに入れてあとで電車の中でつけるんだ思う 腕時計をくれた人がくれた言葉はたまに思い出す あの人が私に告白した交差点は今でも毎日通るし 私があの人を捨てた高架下も毎日通ってる たぶんあの人は2度と通らないんだろうな 私があげたパスケースまだ使ってるのかな あれ実はパスケースじゃなくて名刺入れだったって結局言えなかった 私が彼に言えなかったことはそれくらい 思い残すことが何もないから こんな風に思い出したりできる 駅の電光掲示板には何も映っていなくて変な感じがした 毎日誰かが死んだりするたびに電車が何分遅れてるか映してくれるのに 今日は誰も死んでないのかな 変な感じ 人は死ぬのが当たり前だと思う 新宿のマンションで火事があって50代のおじさんが死んだってニュースを今朝テレビで見た これって沖縄でも放送してるのかな なんて考えた 私が死んでもニュースにはならないだろうな 腕時計をくれたあの人は私が死んだことをいつ知るのかな 私は死んだその日もあの腕時計をしていて だけどあの人がそれを知ることはきっと無いんだろうな 今日が雨なら良かったのにと思うことがすごくよくある 映画を観ているときに駄目出しをするみたいに 今日という日の演出に駄目出しをしてる だけど見直すべきなのは演出よりも脚本で 主役の女の子は変えた方がいいと思う いきなり主役が変わったりしたら みんなどんな顔をするのかな   探してくれたりするのかな しないだろうね 「ねえあの主役の女の子死んじゃったらしいよ」「え〜!そうなんだ」終わりだろうな